竹田の家具、400年の伝統 婚礼品で一大産地に
「わっだやま、たけだかーぐ♪」。約30年前からお茶の間に流れた軽快なフレーズを覚えている人も多いだろう。兵庫県朝来市和田山町枚田の「竹田家具」のテレビCMだ。昭和の高度成長期に婚礼家具の一大産地として成長し、県の特産品としても親しまれる「竹田の家具」。400年の歴史を継ぐ産地を訪ねた。(竜門和諒)
「和田山」の地名を一躍有名にしたのが、同市出身の落語家笑福亭鶴笑さん(60)が竹田家具にちなんだなぞかけを披露するテレビCM。2000年ごろまで民放の在阪局すべてで放送され、関西一円に届けた。ゴールデンタイム枠を含めて放送した際の広告料は数週間で数千万円とかなりの高額になったという。
同社のオーナー古屋耕三さん(69)は「京阪神からもたくさんお客さんが来てくれた。大阪に行っても、だれでも竹田の家具を知っていた」と振り返る。反響の大きさにやみつきになり、制作したCMは10本以上に及んだ。
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その源流は戦国時代にさかのぼる。竹田城最後の城主、赤松広秀が漆器作りを奨励し、木工製品を集めたことで、城下町は漆器の産地として栄えた。
古屋さんによると、小学校の勉強机などを製造する県立の「竹田木工所」が戦後まで置かれ、木工所の職人が産地形成の礎になったという。
婚礼家具が飛ぶように売れた高度成長期、城下町に並んだ家具店も競うように成長した。「竹田家具建具協同組合」が結成され、客と距離の近い製造直売スタイルで「家具のまち」として浸透。店同士の仲も良く、一体となって産地を盛り上げた。
販売されていた婚礼家具は、和ダンス、洋ダンス、整理ダンス、げた箱の4点セットが主流。100万円前後と高額だったが「倉庫はすぐに空になった」という。荷台にびっしり家具を積んだ配送用トラックには紅白の装飾を施し、にぎやかさを演出した。
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しかし、「作れば売れた」時代はやがて終わる。竹田では1980年代に入るころから出荷量が減少。84年には同組合に14社が所属していたが、職人の高齢化などで廃業が相次ぎ、現在も製造を続けるのは2社のみ。残るもう1社の藤本家具(同市和田山町玉置)は福祉用具の販売やレンタルなどを手掛けながら、本業の家具製造を続けている。
竹田家具は質の良さで勝負しようと、90年代後半からオーダーメード生産に移行。店内にはカリモク家具(愛知県)や飛騨産業(岐阜県)など国内の高級家具メーカーの商品を並べる。
業界では現在、ニトリやイケアなど低価格販売を得意とするブランドが優勢だが、古屋さんは「良品は年数がたっても使用感が変わらない。買うときは分からなくても、使っているうちに違いが出る」との自負を持つ。「職人が手掛けた家具は工芸品のよう。良い商品は値段にかかわらず必要とされる」。伝統のともしびを守り続ける。
■団塊世代が最盛期 婚礼で購入、1%未満に
婚礼家具の購入は1960年ごろから一般化し、「団塊の世代」が結婚期を迎えた70年ごろには生産が追いつかないほど需要が増大した。竹田家具のオーナー古屋耕三さんは「両親にとって財産分けのような感覚で、どの家も当然のように購入していた」と話す。
しかし、げた箱やクローゼットを備え付けた住宅の増加などにより需要が低下。幅をとる婚礼家具セットは時代に合わなくなったようだ。
リクルートブライダル総研(東京都)が新婚夫婦らへのアンケートをまとめた「ゼクシィ新生活準備調査」によると、2013年には9割以上の夫婦が家具購入を検討もせず、16年には婚礼たんすセットを購入した夫婦は推計で0・5%だった。
同総研の落合歩所長は「結婚観の変化に加え、結婚前から同居するカップルも多いため、結婚時に家具一式を購入する必要がない場合が増えている」と分析する。