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和田山が家具のまちになったわけ。

なんで和田山は家具のまちなんだろう?
なんでかなぁ?
それは、いまから四百年ほど前のことじゃ。
ときの殿さま竹田城主赤松広秀公が
漆器づくりを奨励して
木地師を和田山竹田に呼んだのがそもそもの始まりなんじゃ。
近江国を発祥とする山の民、木地師は
わかりやすういうたら木工職人じゃな。
木地師はただ木工品をつくるんじゃなしに
木がもともともっとるぬくもりや強さを
うまいこと引き出すことができたんじゃ。
だから竹田椀はあっという間に世間に広まっていったんじゃ。
ところが、陶器がだんだん広まってきてのう。
早う乾くし便利やいうことで
木の椀はしだいに衰退していったんじゃ。
木地師たちは頭を抱えてしもうたぁ。
どうにかせにゃならん。
そこで目をつけたのが家具じゃったんじゃ。
これなら木の技術をたっぷり生かせるいうてな。
天保の末期ごろからはどんどん家具に力を入れていったんじゃ。
いまでは但馬和田山は家具のまちやいわれるほど
婚礼家具の産地として有名になっておるんじゃ。
いい家具がようけ揃うとるからいっぺん行ってみるとええ。
と、いうわけじゃ。

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