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朝来市和田山竹田城跡なう

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竹田城関係年表
永享3 1431 山名持豊、竹田城構築に着手する。(口碑)
嘉吉3 1443 竹田城完成する。
山名持豊、初代城主として太田垣光景を配すという。(口碑)
※太田垣誠朝が初代城主とする説もある。
寛正6 1465 太田垣景近、第2代竹田城主となる。
文明11 1479 太田垣宗朝、第3代竹田城主となる。
延徳4 1492 太田垣俊朝、第4代竹田城主となる。
大永1 1521 太田垣宗寿、第5代竹田城主となる。
天文7 1538 太田垣朝延、第6代竹田城主となる。
永禄12 1569 木下藤吉郎秀吉、但馬侵略する。
生野銀山から此隅山城まで10日間で18城を陥落させる。
(『益田家什書』)
永禄13 1570 太田垣輝延、第7代竹田城主となる。
天正5 1577 羽柴秀吉、播磨を平定したのち、小一郎秀長をもって但馬を侵略する。
天正6 1578 秀吉、再び小一郎秀長を竹田城に入れる。(『信長公記』)
小一郎秀長、秀吉の三木城攻めに加わる。
天正8 1580 秀吉、但馬を攻撃する。(この時点で、太田垣の竹田城は終わる)
桑山修理太夫重晴、竹田城主となる。所領10,000石(『藩翰譜』)
天正13 1585 重晴、和歌山城主として移封される。
赤松広秀、竹田城主となる。所領20,000石(『廃絶録』)
慶長5 1600 関ヶ原の役。広秀、西軍に属し丹後田辺城を攻める。
西軍敗戦後、鳥取城攻めに加わるが、大火の責任を問われ、鳥取・真教寺で自刃する。竹田城、廃城となる。
元和1 1615 生野代官所支配下となる。
明治1 1868 久美浜・生野(明治2)・豊岡県(明治4)に属する。
明治9 1876 兵庫県に編入される。
昭和14 1939 竹田町役場の所有となる。
昭和18 1943 国史跡に指定される。
昭和31 1956 竹田・和田山・南但各町の合併(現和田山町)により、大字竹田(竹田財産区)の所有となる。
昭和46 1971 石垣復元工事に着手する。
昭和52 1977 『竹田城保存管理計画書』を策定する。
昭和55 1980 石垣復元工事を完了する。
平成18 2006 日本100名城に選定される。

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